皆様、ご無沙汰しておりました。
もう忘れられているかもしれない。。
駐在員リカの姉のミホでございます。
もう最後にブログを投稿したのはいつだったか。
まずは、
3月11日の東日本大震災で被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。
私はカリフォルニアにいるので、あの地震は体験していません。
ただ家族や友人たちが福島で被災。
こちらでの、あの時の様子を思い出しながら書いてみます。
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あの日は夜、家に居て、
地震発生から2時間程した時にアメリカ人の友達から携帯にメール、
『福島の事聞いた?りかと両親は大丈夫?』と。
えっ?!?!
彼からメールが来るまでは地震の事は全く知りませんでした。
すぐにネットとテレビをつけ、情報収集。
テレビをつけた瞬間、
ビニールハウスが津波にのみこまれていく映像が目に入ってきました。
うわ、やばい!
すぐにリカに電話。繋がらない。家に電話。繋がらない。
どうしよう。。。。
りかパパママは無事か?じーちゃんばーちゃんは?家は?店は?
心臓がバクバクしたまま、
とにかくメールやらフェイスブックやらにメッセージを送る。
沿岸部の津波の映像がどんどん入ってきて、でも相馬じゃない。
相馬は?かばじいは?
磯辺、、灯台、、かげすか、、古磯部、、蒲庭、、
子供の時から行っていた海とその周辺が頭に浮かぶ。
とにかくいろんな事が頭の中に出てきてぐるぐる。
そして約3時間後、リカの友達のKenちゃんから電話が、
『りかと連絡取れました。みんな無事です。
お姉ちゃんにも伝えてくださいって言われたんで。』
よかったぁぁぁー。
っていうか、人伝かい!って思ったけど、
でも本当に繋がらなかったから、
3時間で無事が確認できたのは本当にラッキー。
kenちゃんありがとう。
それからは、何かしたいでも何もできない。
とりあえず今できるのは募金だけという無力さに
もどかしい思いで毎日を過ごしておりました。
フェイスブックでも書いたのですが、
東北のあの様な状況を見るのは、どうしようもないです。
そして福島原発問題。
妹も父も言ってます。
生活を突然変えさせられて、もう元の生活に戻ることはできない。
カリフォルニアではいつも通りに人々は生活していて、
平和に穏やかに一日が過ぎていきます。
そしてそれはみんな生きていかなきゃいけないから当たり前。
それはわかっていても時々それが切なくなります。
津波や原発ですべてを失ったひとたちを思うと、
ただただ胸が痛いです。
私には帰る家も電気もあり、水道をひねれば水が出て、トイレも流せる。
ガスもあるから家の中で料理が出来る。冷蔵庫の中の食料も腐らない。
寒ければ暖房。暑ければ窓を開けて外の空気を入れられる。
当たり前のことがとてもありがたい事だと
今回あらためて気付かされました。
日々の悩みや問題はただの何でもない事。
テレビやネットで地震、津波、原発のニュースが報道されているけど、
私はこの大地震、それで失われたたくさんの命、
それらがいつか忘れられてしまうのではという思いがずっとあります。
辛いから忘れてしまいたいという人もいるかもしれない。
でも私は忘れてはいけないと思います。
思い出すのは辛いけど忘れられるのはもっと辛い。
それに原発問題、復興もすべて現在進行形。
地震を体験してないやつが何を言ってるんだと言われるかもしれません。
私は宮城、岩手、ふるさとの福島に住む人たちの安全と、
一日も早く皆が安心して健康に暮らせるようになることを
心から祈ります。
Love&Peace
Miho